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座り方と椅子選びーその1

患者さんから椅子の選び方・座り方についての質問をよく受けます。
腰がよくなった後等、予防をする上でも重要なので、とてもいいことだと思っています。
そこで今回は椅子の選び方についてお話しようと思います。
結論からいいますと、残念ながらいい椅子と一般論で語ることのできる良い椅子はありません。
重要なのは”座り方”に大きく左右されるということです。
例えば、ある大会社では、社員に10万以上もする高価な椅子が使用されています。しかしこの椅子になってから腰の状態が悪くなり来院する方が多いのが事実です。この椅子は座面の奥域が深い為、小柄な女性にフィットしないのです。
これから迎える夏休み、帰省帰りや実家での生活、いつもと違う椅子や床に座ることも増えてくると思われます。できるだけ身体の軸を意識して、いつも体勢を変えるようにしましょう!
次回コラムでは、もっと詳しく座り方と椅子選びについてお話します!

座り方と椅子選びーその2
座り方と椅子選びーその3
座り方と椅子選びーその4

姿勢と健康について-子供たちへの影響-

最近、気になる子供たちの来院増、腰痛・肩こり・頭痛・膝痛・外反母趾・偏平足・不眠等、それは大人たちが罹る症状と同様である。当院では、子供たちの姿勢について「日本人をカッコよくするプロジェクト」を推進し、定期的に姿勢シンポジウム等を通じて多くの方へ発信してきましたが、一番大事な子供たちへのアプローチが難しかったのです。
そんな中、今回、姿勢に興味を持たれた区立小学校(世田谷区立中町小学校)からの依頼で先生方と父兄の方々にお話する機会を頂きました。
 「姿勢と健康について」~姿勢が子供たちに及ぼす影響~と題して、姿勢の悪化がどれだけ多くの方に蔓延し、どんな病気や症状を生んでいるかのデータや具体的な影響について、そして実際によい姿勢と悪い姿勢の違いを体感してもらい、今後どのようにしていけばいいのかを講義してきました。

今回の内容:
1.実際の姿勢悪化による病気・症状データ
2.具体的な影響 
3.よい姿勢と悪い姿勢の違いを体感(身体の軸を体感してもらう。)
4.姿勢チェックによる自覚
5.姿勢改善のポイント
6.子供たちの姿勢への提案

 校長先生との話の中で昔からの精神論的姿勢ではなく、今回の講義は科学的データを基に「子供たちの姿勢について具体的に傾向と対策」についてわかりやすかったと感想を頂き自信が沸いてきました。今後も「子供たちの悪い姿勢の影響」を多くの人に伝える使命感を持って一歩一歩進んで行こうと思っています。
 また、提案させて頂いた「朝礼での休めの姿勢」、改善の方向で早速実施してくれるようです。この朝礼での姿勢を注意するというのは、一日の始まりであり、子供たちへの姿勢改善へのきっかけになってくれるような気がします。

学校関係者の方で姿勢講義希望の方は資料郵送いたしますのでご連絡ください。info@kizuchiro.com

世田谷区立中町小学校

病を治すことへの提言

まず現代の医療についての提言をしたいと思います。
人間の身体は未だ解明できない程、すばらしい機能を持っています。
そして病気には必ず原因があります。そしてその原因を早期に解決できれば、そのすばらしい機能を持った身体はすみやかに症状を改善してくれるはずです。
今回の 臨床ファイル93にあった患者さん(膝の痛みで歩行困難)の場合もそうですがこのような症状の時に、多くの医師達が現時点で起きている「患部」に目をとらわれ過ぎている気がします。レントゲンやMRI検査の「診断」はとても重要です。ただ現状把握である「起こった結果」を見ているに過ぎません。

この「患部」は「結果」であることが多くその「原因」ではないのです。詳しく話を聞くとその「原因」はもっと深いところの育った環境とか習慣・姿勢などにあることがわかるのです。
現在の医療は、根本医療ではなく「上塗り医療」が多い気がします。これでは薬漬けの日々を過ごすことになりかねません。

そして次に提言したいのは、受ける側にも問題があるということです。自分たち一人一人が身体のすばらしさを再認識して、できるだけ薬に頼らない意識・知識を持つ必要があります。それには子供のころからの意識・知識は大きな意味を持ってきます。親から子への意識・知識の伝授が大切なのです。

来年はKIZUカイロプラクティックでは、「良い姿勢」の定義について、今まで以上に声を大にして提言していこうと思います。身体は自身によって悪くもなるし、よくもできることを・・・

良い姿勢とは:
その人にとって、各組織(神経・血液・関節・骨・内臓など)に一番負担(ダメージ)の少ない姿勢(これは=楽な姿勢とは違います。筋肉は働かせます。)

悪い姿勢とは:
その逆で各組織にダメージの大きい姿勢のこと。(筋肉が働いていません)

最後に読んでいて感銘を受けた長野県南佐久郡南相木村国保直営診療所長 色平哲郎先生の文章を掲載させて頂きます。

■ニセ医者とプライマリー・ヘルス・ケア■
「近代国家」とは、封建社会が崩れた後の「領土・国民・主権」を確立した中央集権的な国家とひとまず定義できるだろう。
日本は、明治維新によって幕藩体制が打ち壊され、近代国家として歩み始めた。 と、ともに医療の仕組みも「欧州モデル」の導入によって先進諸国に「追いつき、追い越せ」と整備された。
第二次世界大戦の敗北によって、さまざまな分野で米国発の「民主化」が図られたとはいえ、 「領土・国民・主権」を備えた中央集権的な近代国家の枠組は、いまも基本的に変わっていない。 この資本主義経済を柱とする近代国家は、法に基づいて制度を「均質化・均一化」する特徴を持つ。政治・行政機構が一国を支配するためには均一化された共通の仕組みが不可欠なのだ。
日本国中どこへ行っても「円」が通用し、保険証一枚あれば誰でもいつでも医療機関にかかれる 「国民皆保険制度」が成り立っているのも、その証であろう。 ところが、均一化された仕組みを前提とする社会では、その仕組み自体が「高度化」の名において手段から目的へと本末転倒しがちになる傾向もある。

その最たるものが「資格」の世界である。 資格を取ることが目的となり、ひとたび試験に合格すれば既得権をかちえたかの錯覚に陥る人が少なくない。
資格とは、通行手形のようなもので、その関所を越えてから何を行うかが近代の課題であり、 その先に目指すべきゴールがあったはずだ。 われわれ医師は、1948年に制定された「医師法」によって、免許・試験・業務などを細かく規定されている。
医師資格がなければ、患者さんを診療できない。 専門的な医学知識がなければ患者さんの生命を危険にさらす。 医師資格は、求められてしかるべきである。 誰もが、そう思うし、医師資格を否定する気は毛頭ない。 が、あえていえば、資格の関門を突破したあとの「振る舞い」にこそ、医療の本質が現れるのである。

敗戦前、信州の山奥に「ドイツ語が読めない」医者がいた。 地元の警察署長は「慶応大学出身」と自称する、その医者がニセモノだと突き止め、ある日、鉄道駅に警官を緊急配備。 身柄を拘束すべく、水も漏らさぬ態勢を敷く。署長はニセ医者逮捕に自信満々だった。 だが……、ニセ医者は非常線をかいくぐって姿を消した。 佐久総合病院名誉総長・若月俊一氏は鶴見俊輔氏との座談「社会とは何だろうか」 (晶文社)のなかで、医者が逃亡できた理由を次のように語っている。 「村の人がこっそり助けたんですね。なぜかというと、とってもいい医者だったらしいんです。 いままで村に来た医者のなかでいちばんよかったと村人は言っていたという。

まず第一に、腰が軽くて、よく往診に来てくれる。そして実際によく治ったというんですよ。 その前にいた医者なんか、博士号はあるんだけど腰が重くて来てくれない。 一日に七人以上の患者はぜったいに診ない、それ以上診ると乱診になるという理屈なんです。 いばってばかりいて、しかもお金にはきたなかった。 それに比べれば、あの医者はほんとうに親切だった。 それだから、そこの青年団も婦人会も、あの医者をもういっぺん呼びなおすわけにはいかないかと言ったんですね。 でも、ニセ医者ですからね(笑)。前にいた博士医者は、その博士号の上にあぐらをかいていた。 ニセ医者のほうは、一所懸命に努力した。……こうなるとどっちがほんとうの医者かわからなくなる」

おそらくニセ医者は、自分が免許を持っていないという永遠の負い目から少しでも 本物に近づこうとたゆまぬ努力をしたのだろう。 村人の目線に立ち、村人の満足を引き出すにはどうすればいいかを考えた。 その結果、あれこれ勉強もし、身を粉にして診療に取り組み、「名医」と信頼されるまでになった。 ニセ医者の立脚点は、資格ではない。 人間として医療にいかに携わるかであったろう。

じつは、この人間が人間として人間のお世話をするという行為は、 近代医療が確立される遥か昔から人々が行ってきたこと。 つまり医療の原点だ。 それは、資格の有無で詐欺かどうかを問う近代の基準点とは必ずしも合致しない。 原点といっても、針で突いたような点ではない。 原点のほうが、近代の価値基準よりも広く、大きいのである。
国際的に重要性が叫ばれている「プライマリー・ヘルス・ケア」とは、この原点における医療行為を指す。 第三世界の劣悪な医療環境下では、医師資格など持っていない医学生や保健師、 看護師たちも限られたマンパワーを生かすために診療行為に携わるケースがある。 そこで問われるのは資格の有無ではなく、人間として人間のお世話をどのように行うかという実効力なのだ。 当然、病気を予防するための保健・衛生も含まれる。
「プライマリー・ヘルス・ケア」とは、身近な一般医による「プライマリー・ケア」(初期治療)とは異なって、 プライマリー・ケア以前の予防措置を含む広大な領域に根を張っている。
そして、現代日本の高度化する医療現場においてもまた「プライマリー・ヘルス・ケア」 の発想が求められているのである。前述の座談会で若月氏は、こう語っている。
「予診のなかにすべてがあると言ってもいいと思うのです。 ところがいまの若い医者が大学の医局から来ますとね、予診なんかバカにする。 (中略)ほんとうは予診がいちばんだいじなんで、その人の訴えを聞くことから、 いろんなその人に特有な病状や、それを引き起こした生活条件などを知ることができるんですからね。
たとえば、父ちゃんが出稼ぎに出ていて、母ちゃんが『半年後家』の暮らしをしているなら、 その母ちゃんの高血圧にはイライラからくる精神的なものが多いに違いない。 そうすれば、血圧降下剤には神経をしずめるものをおもに使ったほうがよい(略)」

近代は、人間に多くのものをもたらした。 一方で失ったものも少なくない。 せめて、原点だけは常に見定めておきたいものだ。

(長野県南佐久郡南相木村国保直営診療所長 いろひらてつろう 色平哲郎)

姿勢と身体の軸

先日、日経新聞に「左足に重心 姿勢も正す」とありました。人間の体は、左右対称ではなく左半身が前に出る(右回転)性質を持っているというのである。スポーツの世界でもこの考えを実際に生かしている選手もいるとのこと。
また昨夜の日経の夕刊にも子供の背筋の弱化について記載されていました。その他でも、テレビや新聞でも”姿勢”に焦点を置く番組や記事を多く目にします。

そこで今回は”身体の軸”を感じる一番簡単な方法を紹介いたします。
何も持たない状態で散歩します。その時に、どちらかの脚をコンパスの針のように軸として働いている側があるはずです。人によって程度は違いますが、特にどこかに手術の後や外傷の後などあると顕著に現れるはずです。実はこのコンパスの針側が身体の軸脚です。多くの方がこの軸脚の習慣化から起きる”身体の軸の崩れ”が腰痛・肩こり・頭痛などの原因になっています。
ですので、痛みが特になければ、この軸をできるだけ中心に持っていくことを意識できれば、究極の予防になります。
手始めに歩いてみて軸を意識できたらこの軸足を反対にしてみることから始めまてみましょう!
きょうは、一年に何度もないスペシャルデーだそうです。(気候・気温・湿度すべて身体にとって心地いい)皆さん腕を振って”からだの軸”を考えて散歩しましょう!

座禅のススメ

先日、2005年の世相を象徴する「今年の漢字」に「愛」が決まりました。世界各地で発生した自然災害の被災者救済などの地球規模の「愛」。日本各地で相次いだ殺害事件などが続発した世相も反映し、「世界に愛があふれてほしいと思って」という意見に代表される形で多くの票を集めたようです。

 ところで、現在日本各地で起こる様々な凶悪な事件、なぜ起こるのでしょうか?忙しかったり、何かいらいらしたり、すべて「愛」がなくなっているからではないでしょうか?
京都・清水寺の森清範貫主は「相手の喜び、悲しみが伝わってくるのが愛。観音様の慈悲にも通じる」とおっしゃっています。
以前、知り合いに「忙しいと言う言葉は心が亡くなると書きます。」と言われたのを思い出します。
そこで、目的に追われ続ける日々、忙殺される1年に必要な初期化のためのひと時として、今年の最後に「座禅」をお勧めします。

僕も寝る前に5分程行いますが、高めのクッションをお尻の下に敷き、座禅を組み、半目を開いて1メートル先の地面を直視し大きく深く鼻呼吸します。無心になるのは難しいですが、呼吸に集中することにより、頭の中にある雑念が洗われる気がします。いつもは5分ですが、今年の最後は30分してみようと思っています。

「雑念にとらわれて呼吸が乱れると必ず姿勢が崩れます。その時はまず姿勢を立て直し、維持することに集中してみてください。次に呼吸を意識すること。厳密には「無心」とは言えませんが、一般の人は呼吸だけに集中できれば十分です。」(福井市・霊泉時住職 南直哉さん談 日経インテレッセ1月号より)

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